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【ご縁】遍路道中膝栗毛【発見】

お寺 遍路

四国のお遍路を2018年の夏に歩いてはや2年、その時書いていた日記が今読んでも面白かったので今回は、その時の日記を振り返ってこの記事を書いていきたいと思います。

今はもう日常に戻って結構経つので、あの時のような感度の良さはだいぶ薄れてきているというのが実感としてあります。

歩いている時は、その日のタスクが、荷物が、工程が、一日がシンプルなので思考がクリアなんですよね。

日々の生活が忙しいと、いいアイデアが出てきても、雑念が入ってすぐ忘れてしまったり、、、

何かしようと思ってもネガティブな思考が入ってきて深く集中できなかったり、、、

しかし、シンプルな日々と温かい人達との出会いを繰り返す事によって、安心感を感じ、不安からの自分の身のまわりのモノへの執着というものを自然と手放していく事を実感し、どんどん身軽で楽になっていきます。

そういう状態になって初めて、良いアイデアやステキな言葉などが頭に浮かんでくるのかなっていう事が、体感として感じられました。

普段とはかけ離れた世界を少し覗いてみたい人にオススメの記事ですので、ぜひ読んでみてください。

目次

お大師さまの差し向けたお母さん

遍路宿

2018年7月18日

一日中歩き通す事がこれだけきついとは思わなかった。

炎天下の中水を飲む、歩く、の繰り返し、体中が痛くなり1歩踏み出すのも気合いがいる。

休憩して座ってしまうと膝が痛み、立つことが億劫になり、また精神力を使ってしまう。

奇異な目で見られている様な気もし、生産的でもない事をして、これはなんの意味があるのだろうとの思いも重なり、続ける気力が萎えてくる。

それに加え、善根宿での宿泊もハード。

防犯もなく、空調もなく、虫もガンガン入ってくる。

その中でなかなか寝られることもなく、睡眠時間も短くなり、また精神力と体力の回復もあまりできていないという悪循環も重なり、どんどん気が滅入って来た。

「いつ帰ろうかな」

そんなことを考えながらとりあえず打った11番藤井寺で、朝の6時からキャッキャッと騒ぐお母さん達がいてちょっとめんどくさいなと思いながらお勤めをする。

その後で一人の元気なお母さんから声をかけられた。

「どこから来たの!?」

そして、話しをしていく中で大変なんでもう辞めるかもと伝えたら

「大丈夫!あたしと話した人はみんな結願するのよ!」

謎の自信に溢れた言葉が返って来た。

その根拠のなさがおかしくて、なんだか嬉しくて、気力が湧いて来た。

すると昨日まで声をかけてくれた人は1人、2人くらいだったのに、今日はかなりの人達に頑張れと声をかけて頂いてお接待も頂いた。

その度に、もう休もうかなと思っていたのにもうちょっと行こうと思う気持ちが湧いて来て、気がついたら目標の場所まで、満身創痍の中辿り着いていた。

「この遍路は苦しい中でも前に進む為には何が必要なのかを経験して学ぶ場所なんだ」

そう思う心が湧き上がり、自然と曖昧だった遍路を行う目的が、経験の中で固まってくる様な感じを覚えた。

あのお母さんの言っていた、、、

「大丈夫!あたしと話した人はみんな結願するのよ!」

という謎の発言も、あながち根拠のないものではないのかも知れないなと思い、弘法大師様が

「まだ帰るのは早いぞ」

と、言って差し伸べてくださったご縁の様な気がして、なんだか感慨深いものがあった。

ともあれ、もうちょっと続けてみよう。

せっかくだから経験から学ぶ事を努めて、何か得るものを得て、次のステージへ向かうステップにしたいと思う。

ランニングおじさん

境内

前方からイヤホンを耳にはめ、ランニングスタイルに身を包んだおじさんが歩いて来る。

挨拶すると、

「若いな!何歳なん!?」

元気な声が返ってくる。

「28歳です」と答えると

「珍しいな!女探しか!?」と元気に返される。

「坂本龍馬が28歳の時に脱藩したのでおれも会社辞めて歩いてます」

一期一会の旅と割り切ってないと人に言えない様な事を伝えると、

「竜馬がゆくを読んだか?あれは創作だから司馬遼太郎の思いも入って純粋な龍馬の伝記ではないんやで」

「歩き遍路している様やけど仏教についてどんな事を思う?」

と聞かれ、

「般若心経やお釈迦様、弘法大師の言葉から苦しみから開放される為の術じゃないかなと」

と伝えると、

「お釈迦様が2500年前、仏教の教えが経典化されたのが2000年前、この間500年これがどんな意味を持つかと言うと、今ある経典は又聞きで伝わってるものでしかない。本当にお釈迦様が言った事はなんだったかなんてのはわからないんだよ。」

「大事な事はそれを読んで自分がどう考えるか、それに沿って生きるんじゃなく自分はどうあるべきかを考える事なんだ」

するとおじさんは、

「今おれはガンが転移して5箇所手術をしてる、4箇所の手術までは走ることができたが今は走ることはできなくなったんだ」

「ここなら切った方がいいと言われても、自分の体に切っていい場所なんてなかったんだ、全てがあるからそこが生きるって言うのを自分の体で思い知ったよ」

と言っていた。

この世界には、いろんな人がいる。

朝コンビニでパンをかじろうかとコンビニの裏に行くと、ゴミで溢れている。

おそらくゴミ箱が店内にあるから戻るのが面倒で、捨てて行ったのだろう。

でもその人達だって、何か仕事なりなんなりして人に何かを供給しているハズだ。

場所が違えば、人も変わる。

ぱっと見ふつうの人でも、人にはそれぞれの歴史がある。

知ろうとする好奇心、学ぼうとする心、喜ばせようとする施しの精神があれば。

必ずなにか得られるものがある。

世界に必要ない事など1つもない。

遍路をすると人と話す機会が多く、そして一期一会なものだと皆知っているから、ホントの心の中のものを伝えて頂く機会がとても多い。

元気そうに見えたおじさんも、膝と腰が痛くてたまらんと下を向いて表情を崩しながら歩くオレよりもずっと満身創痍の中、前向きに人生と闘っていた。

そしてその後も雑談をしていると、咥えタバコのおじさんがやって来て、どうやら知り合いのようで会話に入って来た。

80歳で競輪選手並みのギア比の自転車に乗るおじさん

高知の海

「若いなー!女探しか!?」

なんでみんな一言目が同じなんだと思いながら

「28です、愛媛の松山から来てます」

と、あらデジャブかしらと思う様なことを伝えると、さっきのランニングおじさんから

「この人何歳だと思う?」

と聞かれ、何歳と言えばいいんだろうと正直に答えるより、相手に失礼の無い様にとの思いの中唸っていると

「昭和38年やで」

と答えられ、ちょっと待て、そんな生まれだと昭和はたしか64年までだから56歳!?それは流石にないんじゃねーかと面食らってパニクってると、

「ウソや、1938年生まれの80歳や」

と笑われ、なるほどこの流れはやらしい考えを持ったオレへの戒めだななんて思っていると

「おれもアウトドアが好きでこの自転車で徳島から高知まで行った事もあるんや!」

そしてその自転車を見ると、軽そうな素材で出来ていて。

バキバキにカスタムされた重たそうなギア比の自転車がそこにあった。

「オレも昔は商社で働きよったんや、あそこは頭も体も限界まで高めんとやっていけん、インドアだけ極めてもダメ、アウトドアだけやっててもダメ、両方のバランスが大事なんや」

「それとワシ将棋も4段持ってるんだけど、将棋で勝つ為に大事なのは攻めることや!ボクシングでも一緒、守ってばっかりだと殴られる、守る為に攻めるんや。家でうんうん唸って言い訳考えるよりとにかく動くんや!始めてしまえば文句言える奴なんておらん、おっても気にならん、自分を高める為、前に進む為、そして守るために攻めるんや!」

「あんちゃんも一人旅ならいろいろあるかと思うけど結願出来る様に頑張れ!」

そう言うと18番札所、恩山寺に向かう遍路道の地蔵峠の急斜面を、咥えタバコに競輪選手ばりの踏み込みで駆け上がって行った。

その後ろ姿のカッコ良さに身震いを感じながらオレも続くぞと地蔵峠に歩を進めた。

ゴーヤを育てるおばあちゃん

木漏れ日

真っ赤な朝日に感動を覚えながら朝四時半、遍路道を歩いていると、カーテンの様に茂ったゴーヤの葉を背伸びしながら見上げているおばあちゃんが居た。

「おはようございます!」

と挨拶すると元気な返事が返って来る。

この時間に行動してる人は明るい人が多いなと思いながら。

何してるんですか?と尋ねると、

「暑すぎてミツバチが花粉を運びに来ないから手動受粉してるの」

とおっしゃった。

背伸びしながら雌花をぽんぽん雄花に当てている姿がとてもかわいい。

「僕も手伝います」と伝え。

二人でお花をぽんぽんしながら、お話をさせていただいた。

その中で、この昔の甲子園球場のツタのカーテンの様に張り巡らされたゴーヤの葉に水をやるのは大変だなと思っていると。

水をやるのはここよ、と小さなプランターを指差す。

こんな小さなプランターから壮大な日除けカーテンやりっぱなゴーヤになるのを見て、人も思い次第で何にでもなれるんじゃないかと、小さなプランターだからと自分で限界を作っているんじゃないかとの思いが浮かぶ。

「あなた細いけどちゃんと食べてるの」と尋ねられ、

「この格好でお店に入ると目立つのでちょっと躊躇してしまいます。」

と言うと、

「自分を卑下して、行動を躊躇するのはダメよ、素の自分で皆さんの為におれは遍路参りをしてるんだと思うくらいの気持ちで歩いて行かないとダメ。周りなんて気にする必要ない、元気に振る舞うだけであなたはみんなの為になっているのだから」とおっしゃって頂いた。

ちっちゃくて元気で笑顔の素敵なおばあちゃんから歩く元気を頂いた。

始めは1人で黙々と歩いていた

その時はどれだけ頑張っても20kmくらいしか歩けなかった。

しかし、今いろんな人から元気をもらって歩いていると気付くと40km程歩いていることもある。

今自分は生かされている、歩くのに背中を押して頂いていると思わずにはいられない。

こうして、人は前に進んで行くのだなと思った。

今まで引っ張られて進む経験が多かったが、押して頂いて進む事がこんなに人生を前向きに捉える事に繋がるんだと言う事に気付かされた。

別れ際に握手を交わし、手を振ると笑顔で見送ってくれた。

こうしてまた今日も歩き続けて行ける事に感謝をしながら、また歩を進めて行く。

今日記を振り返ってみて

段々と責任や義務感から、目の前のことが楽しめないと思うことがやっぱり増えてはきているんですが。

この歩き遍路での経験が、モノクロになりかけた毎日から引っ張り出してくれています。

沈んでしまわない為に、一度自由に自分を旅させる事ってやっぱり大事なんだなと。

いろんな経験を自分の本心に従って体感しておくことで、我慢しなければならない期間を目的をもって耐えることが出来る。

自分の道を毎日歩いてゆく為にも、一度ひとりで旅をする事、おススメです。

「旅の過程にこそ価値がある」-スティーブ・ジョブス(Apple創業者)
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